私が育った家庭は、いわゆる母子家庭です。


小学校3年生の時、父と母が離婚をしました。



始めは父との生活。

でも、ほんの数か月で、私と弟の面倒を見きれなくなった父が

母のところへ、私たちを連れて行き、というか、

やや置き去り状態 


お手紙を私に持たせ、

『あのお家にお母さん住んでるから

行っといで~  ばいば~い 』 的な 


いやいや、笑いごとじゃないんですけどね。



そのタイミングで、転校を2回  

ちびっこには、結構なストレスなんですよ  転校。

けれど、子供には何の主張のチャンスもなく

運命を受け入れるのみ 


けどこの経験、めちゃめちゃ役に立ちましたね。後々。

何事もとらえ方次第 


こんな考え方を叩き込まれたのは、

その後の母との生活で、ですね 




突然、小学校低学年の二人の子供を抱えて

母は、大変だったと思います。

決して模範的な母親ではなかったけど 


たくさんのことを教えてもらいました。


女手一つで育ててるからって、

落ちぶれた風はヤダ  

よく言ってた言葉の一つに

 武士は食わねど高楊枝




大きくはない会社とはいえ、

立派に経理、総務という仕事をこなし、

どんなに冷たい目で見られても

17時には帰るを貫き、


社員旅行で、当時は横行していたセクハラを受け

そのオジサマをぶん殴ったり 



そして、母に言われ続けたコト 


安いオンナになるナ 

「○○でイイです」とか言うな
「○○  イイです」って言え 

ご飯は美しく、美味しそうに食べなさいッ 



あと、

「 良かった探し 」 しなさい 

どんな時も、どんなことが起こってる時も

必ず 「 良かった 」 はあるはずだから 


いやいや、だからってお母さん、

38度以下は熱とは認めんとか  笑

腹イタは病気じゃねぇ とか 



そんな彼女を見て育った私 

絶対に 絶対に ぜ~っったいに


キャリアウーマンなんかにはならな~い   



 おかしい

なんか、今。

めっちゃ働いてる 自分