私は日本人である、ということに誇りを持っています


日本人が日常着物を着ていた頃

9月1日~5月31日袷(あわせ)という裏地のついた着物

6月1日~30日9月1日~31日
単(ひとえ)という裏地のついていない着物

7月1日~31日絽(ろ)という縦糸と横糸を絡ませて透き目を作った生地の着物

8月1日~31日紗(しゃ)という絽よりも更に織り目が荒くて薄い生地の着物


6月1日に袷の着物を着るということは

まさに恥ずべきことだったそうです



袷の着物、単の着物、それぞれ持っているわけではなく

5月31日の夜に

袷の着物から裏地を外して

単に仕立て直したんだとか


日本人の生き方に、密接な心

恥じる ということ。

貧しくても、粋に。
限られた中で、分相応に、でも確実に恥じることなく生きる。



他人の目を気にするということではなく

自分自身に恥じる


それは、見方を変えたら

潔く在ろうとすること
丁寧に生きること
  だと、私は思います。


人前で取り乱す

しがみつく


本当に恥ずかしいこと



目指すのは

いつも心静かに。
潔く。


なかなかできないこともありますけどね






急に話が飛ぶんですケド


友達が私の部屋に来て

のんびりくつろいで眠くなるのが嬉しかった


「みきの部屋にいると眠くなるんだよね~


そんな雰囲気、なぜかいつも目指してました

次元が違うわ~って

怒られるかもしれないけど


千利休さんの気持ち、すごくわかるんです




あるもので、いかにその時に合わせてしつらえるか

モノを置く場所へのこだわり

香り

肌触り


確かに、そんなことにこだわるんです。


一番大切なのは

あざとくないこと。
いかにも、じゃないこと。


そんなこと、考えてた中学生



兵庫県西宮市の県議野々村竜太郎さん、

どんなことが裏側にあるかは

私にはわかりません


でもね、世界各国に流れたあの映像

恥ずかしすぎます